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大塚国際美術館 フランシスコ・デ・ゴヤ [美術・娯楽]

フランシスコ・デ・ゴヤ。
18世紀生まれのスペイン出身の画家だ。
ゴヤは宮廷画家にまで上り詰めるが、多くの子を失い、聴力を失い、生命にかかわる大病を患い、キリスト教の粛清の影に苛まされ、友人たちが次々と投獄され、暗愚な王政に幻滅させられ亡命するなど、大変な一生を送った。
以前に、ゴヤの本について書いたことがある。(その記事はこちら

大塚国際美術館にはゴヤの作品が12点あり、ほぼ一部屋に集約されている。
ここでは3点取り上げる。

ゴヤの作品群のある部屋の真正面には、有名な『着衣のマハ』『裸のマハ』が展示されている。
『着衣のマハ』と『裸のマハ』
両作品とも1971年に来日し、展示された。その後『着衣のマハ』のみ2011年に来日している。
2011年の来日時は鑑賞に行った。(その時の記事はこちら

着衣のマハ
『着衣のマハ』。
原画はスペインのプラド美術館が所蔵している。
『着衣のマハ』は『裸のマハ』の後に描かれた。
どちらとも同じポーズをとっており、対となる絵だが、モデルが誰なのか確定していない。
当時の宰相ゴドイの邸宅から見つかっており、『裸のマハ』を先に描くよう依頼し、のちに対となる絵画を依頼したのではないかと言われている。
『着衣のマハ』は衣装が印象的で当時の文化がわかる絵画と言える。
マハとはスペインのアンダルシア地方の民族衣装を着た女性のことを意味する言葉で、18世紀ころには、上流階級の女性がこういった民族衣装を着ることを好んだそうだ。

裸のマハ
『裸のマハ』。
原画はスペインのプラド美術館が所蔵しており、並べて展示されている。
『裸のマハ』はゴヤの絵画の中でもっとも有名だと思う。
西洋美術史で最初のヘアヌード絵画であり、キリスト教異端審問会で問題視され、最終的にはそれを避ける形でフランスへ事実上亡命している。
ヨーロッパは教会による文化抑圧がたびたび見られるが、ゴヤもその影響を受けたわけだ。

マリア・テレサ・デ・ボルボンの肖像
『マリア・テレサ・デ・ボルボンの肖像』。
マリア・テレサ・デ・ボルボンは、スペインの王子ルイス・アントニオとアラゴンの貴族マリア・テレサ・デ・バリャブリガ・イ・ロハスの次女として、ベラダで生まれた。
上に出てくるゴドイと政略結婚させられた悲劇の女性だ。
最終的には亡命先で金に困窮し、49歳のとき癌で亡くなる。
彼女は、ゴヤが描いた最も美しい婦人像のモデルになったが、その一生は王族の血を引く伯爵家の令嬢として生まれたにも関わらず、悲劇と呼ばれるものだった。
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