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円の実質実効為替レートが統計上過去最低に [資産運用]

一万円札と10ドル紙幣
半年ぶりに資産運用ネタ。
せっかく資産運用のカテゴリを作ったので、3ヶ月に一度くらいは何らかマネーっぽい関係の記事を書こうと思いつつ、自宅売却とか旅行とかのイベントがあって、半年ぶりになってしまった。
(過去のマネー関連の記事は、左の資産運用カテゴリで確認できる)

円安が進んでいる。
以前も1ドル150円あたりの時期はあったが、そのころと今とでは違う点もある。
アメリカの景気の停滞感が強まっていることだ。アメリカの景気先行指数は悪化しているし、失業者は増加に転じていて新規失業保険申請件数も増えている。ドルが強いのではなく円が弱いのだ。それらの値はまだ僅かな変化だが、半年前の記事で書いた通り、好景気を気楽に謳歌する市場心理の状態ではなくなったといえる。

そして、国際決済銀行が発表した円の実質実効為替レートは2020年を100とした場合、2023年8月は73.19で、記録のある1970年以降の統計上、最低の水準となった。
ざっくりいうと、仮に2020年に10,000円持っていた場合にドルなりユーロなりで売られているものを10,000円相当で買えたものが、2023年8月では10,000円を持っていても7,319円相当の価値としか認められず、13,663円ないと同じものが買えないということを意味する。
この状況で、物価上昇圧力が働かないほうがおかしい。
いま、さかんにテレビや週刊誌で値上げが続いて困っていると取り上げられているが、こんなものでは済まないと思ったほうがいい。少々の補助金とか企業努力だけでは焼け石に水で、じわじわかどんどんかは別として、相当な値上がりをしていくはずだ。
自分の予測はおいといても、人手不足による人件費高騰問題もあるし、海外の物品自体も値上がりしているので、いずれにしても上記の13,663円では済まない。

日経平均株価が少し上がっているので、やっと日本の時代が来たと思っている人もいるかもしれない。
自分も日本製品が好きで海外製ブランドのものはそれほど持っていないし、日本食も日本のサービスももちろん好きだ。
しかし、株価で考えるとそう楽観的には捉えられない。
日本の会社の株価が2020年に10,000円から先月末で12,000円になったとしても、実質実効為替レートで見た場合、10,000円が8,782.8円に下がったことになる。資産価値としてみた場合は20%伸びたのではなく13%落ちたわけで、むしろ損失だ。
株価がもしも10,000円のまま変わらなければ7,319円に下落して27%落ちてしまったのと同じことで、10,000円が15,000円になっていたとしても実質的な価値としての株価は10%弱しか計算上は伸びていないのだ。
日本に住んでいて日本円で決済するだけだからドルとかユーロとか関係ないし、堅実に貯金していけばいいという発想はリスクが大きいと思う。借金漬けの日本政府がさらに借金してずっと支えてくれ、それを世界の投資家たちが認め続ける保証はないし、破綻しなかったとしても現在の物価上昇のような形で何らかのダメージを甘んじて受けることになるだろう。

自分は一貫して株式投資で日本企業の実質的な割合を2割以下にしていたが、その傾向はずっと変えていないし、今後も日本市場だけにするみたいな極端なことはしないつもりだ。
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今回の旅行&帰省の土産物 [飲食・料理]

4泊5日の日程で、地元に帰り、佐賀・福岡へ旅行し、友人に会いに行き、東京へと戻ってきた。
もう少し時間をとれるとゆっくりできるのだけど、そう休んでばかりもいられないし、このくらいが自分にとってはちょうどいいようだ。

自分用に買っておいた土産物は菓子2つ。
さが錦
さが錦。
佐賀市の村岡屋が製造販売している菓子。
これまで佐賀は仕事で何度か訪れているが、これについては認識がなかった。

生キャラメルもみじ
生キャラメルもみじ。
広島市の香月堂が製造販売している菓子。
もみじ饅頭はアイスだとかフルーツジャム入りとか、いろんな種類があるが、これもそういうバリエーションの一つ。
なかなか食べやすくて美味しい。

これで、今回の帰省と旅行のブログはおしまい。(7月中旬のことだったのでもう2ヶ月以上前だ)
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のみくい処 お多幸で [飲食・料理]

福山を訪れたのは、福山城がメインではなかった。
友人が転勤で福山に住んでいて、しばらく会っていなかったので、会いに行ったのだ。
福山駅ビル内の本屋や雑貨店をぶらりと眺め、駅ビル内にあるマクドナルドで時間を調整。

駅の南側で合流し、飲み屋街へ。
友人曰く、飲み屋はそれなりにあってアフターコロナで混むところも多いそうだ。
何店舗か覗いたが、実際にいっぱいなところが多い。
入れたのが、のみくい処 お多幸。
カウンターが空いているということで、いろいろと飲みながら話をした。

以下はその時に食べたものの一部。
エビ
シャコ
天ぷら

福山は瀬戸内海に面しており、名物としては海産物がそれにあたるが、著名なブランドにまではいたっていない。たぶんタイくらい。
農産物としてはくわいとか柿あたりだと思う。
美味しく飲み食いし、会話できた。

新幹線までの2軒目で軽く飲むかという話もあったが、混んでいる店が多くて断念。
また訪れよう。
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福山城博物館 [旅・場所]

福山城の中は福山城博物館となっている。
入館料を払って中へ。
大半の場所は撮影禁止。

福山城博物館
鯱。
福山城再建後の歴代の鯱が展示されていて、ここは撮影可だった。左が初代、右が2代目。
初代は福山市民の寄付金によって1965年の両脇に鎮座されたもの。
2代目は1993年に地震により初代の鯱が破損し、復元されたもの。
現在鎮座している鯱は3代目ということになる。

福山城博物館
最上階の、福山藩初代藩主の水野勝成が所要していた「革包茶糸威二枚胴具足」の複製。
ここは一緒に記念撮影をしようというコーナーなので撮影可だった。

福山城からの眺め
福山城の最上階から南側を撮影した写真。
眼の前に見える駅が、新幹線と在来線の福山駅だ。
ここは東も西も南も北もマンションやデパートなどの建築物が多く、しかも迫っているので、正直あまり眺めとしてはどうということはない。

ただ、博物館としてはリニューアルでいろいろと工夫が凝らされており、近くに行く機会があれば行ってみるのもいいと思う。
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福山城を見に [旅・場所]

佐賀・福岡旅行を終えた翌日、午後になって新幹線に乗車。
福山へ向かって移動する。
福山には3年ほど住んでいた時期があるが、子供の時だったのでろくに観光していない。
一度きちんと福山城を見ておくかと考えて、行ってみることにした。

福山駅に着いたタイミングで駅の写真でも撮るかと考えたところ、カメラの中にSDカードがないことに気づいた。
佐賀・福岡旅行から帰ってSDカードをノートPCに挿入して中身を確認したまま戻していなかったようだ。
せっかくカメラを持ってきたのにSDカードがなくて撮れないのは何か悔しい。
駅周辺のデパートやコンビニに入ってみるが、フルサイズのSDカードはどこにもなかった。
仕方ないので地図を検索したところ、1.3km先に家電量販店のエディオンがあることがわかった。
暑い中歩いて向かう。
家電量販店にはフルサイズのSDカードがあり、購入して事なきを得、そこから福山駅まで戻る。
福山城は福山駅から徒歩1~2分の距離にあるのに、ひどいタイムロスだ。(苦笑)
暑かったのでアイスコーヒーでも飲んで一息つきたかったが、入場時間制限が気になるので、そのまま福山城へ。

福山城
福山城。
第二次大戦時にアメリカ軍による空襲で全焼してしまい、いまの福山城天守閣は1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリート造で復興されたもの。
福山城の歴史をWikipediaなどで見ると、紆余曲折があったことや、周辺が文化的価値よりも経済・利便性重視で乱雑に開発された経緯がわかり、日本のどこでも起こっていることだなと実感させられる。

福山城
福山城の天守閣は変わった点がある。
この写真のように北面だけ鉄板が貼られているのだ。
厚さ3mmの鉄板であり、山並みが迫る立地から防備上の砲撃対策で備えられたとされている。
これは自分が福山に住んでいたころには再現されていなかったもので、2020年(令和2年)から2022年(令和4年)に行われた築城400年を記念した大改修で、古い写真や他城の鉄板の調査などを経て復元的整備が実施されたとのこと。
全国で唯一の天守北側の黒い鉄板張りなのだそうだ。

外観を眺めた後は、城の中へ。
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佐賀・福岡旅行を終えて [旅・場所]

新幹線車内
佐賀から福岡に戻り大濠公園を観光した後は、レンタカーに給油してもらうガソリンスタンドへ移動。
異様に混んでいて少し焦ったが、時間は少し余裕があったので問題なし。
レンタカーを返却し、博多駅へ。

あらかじめ予約していた新幹線に乗車し、父と広島へ移動した。
これで今回の佐賀・福岡旅行は終わり。
(帰省中の記事がもう少しあるので、旅行ブログはあと数回続く予定)
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大濠公園の日本庭園 [旅・場所]

二丈パーキングエリアを出発して福岡市内までレンタカーで戻った。
時間がまだあるので、父のリクエストで大濠公園へ行くことに。
大濠公園は約39万8千平方メートルの公園。葛西臨海公園の半分くらい、上野恩賜公園の3/4くらいの広さだが、都市中心部にある公園としてはかなり広いほうだと思う。

中は思い思いに歩く人、走る人が多く、都市型公園らしい光景が見られた。
観光客がそれほど多くなかった佐賀から移動したので、人が多いなという印象。(それでも東京の公園よりはゆったり過ごせるが)

日本庭園があったので入ってみた。
この庭園は有料。(ただし65歳以上は無料なので父は入場料不要だった)
大濠公園の日本庭園

枯山水庭があったり池が配されたりとなかなか本格的。
敷地が細長く、造園者はどう配するか悩んだのではないかと思われる。
大濠公園の日本庭園

写真には撮らなかったが、結婚すると思しき二人の撮影が行われていた。
雲の多い空模様だったが、上手く撮れば影が強くなりすぎないで済むので、夏の和装の写真撮りとしては悪くなかったかも。
大濠公園の日本庭園

ここを歩いているときに、自宅売却の件で不動産屋から連絡があり、何というタイミングと思いつつ対応。(苦笑)
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姉子の浜 [旅・場所]

虹の松原を歩いてレンタカーを停めたところまで戻ると、もうランチタイムが過ぎていた。
父がどこでもいいので入ろうということで、近くにあった牛丼チェーン店で食事を済ませ、東方面へと走る。

二丈パーキングエリア
その途中で立ち寄ったのが二丈パーキングエリア。このあたりはもう福岡県になる。
ここはトイレと休憩所と自動販売機しかない小さなパーキングエリアだが、そこから鹿家海岸へ下りることができる。

姉子の浜
鹿家海岸でもこのあたりは姉子の浜と呼ばれる場所で、泣き砂で有名。
下りてみたところ少し泣いたかなという程度だった。
海の綺麗さ加減によるらしい。

姉子の浜と魚
波打ち際まで行くと綺麗な砂地の砂紋と泳ぐ魚が見えた。
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虹の松原 [旅・場所]

展望台を後にして向かったのは、虹の松原そのもの。
Google Mapsによると、何箇所か駐車できそうな場所があったので、そのうちの一つに向かって走る。
虹の松原の中を抜ける道路なので、走っているだけでもちょっとわくわくする。
やがて駐車場を見つけたので、車を停めて海の方まで歩いてみた。

虹の松原
唐津藩の初代藩主である寺沢広高が、防風や防砂を目的として植林したのが始まり。東西の全長は約4.5km、南北の幅は約500mで、100万本あると言われる大きな松原。
三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つとされており、国の特別名勝に指定されている。
日本の白砂青松100選や日本の渚100選にも選ばれている。

虹の松原
海風の影響で松の形が屈曲し、風を常に受けるために陸地側に倒れるように伸びている。
マツクイムシの被害などもあり、危険と思われる松は一部伐採され、印が付けられている樹木もあった。
それにしてもこれだけ広大な松林だと迫力がある。

虹の松原
松林を抜けたところ。西に向かって撮影。
すぐに海かと思いきや、さすがにそんなことはなく。

虹の松原と砂浜
波打ち際まで行ってみた。
東に向かっての撮影。
日本の白砂青松100選や日本の渚100選に選ばれるだけのことはあり、美しい砂浜だった。
これをほぼ独り占めでゆっくり眺められるとは。
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鏡山展望台へ [旅・場所]

旧高取邸から20分くらい走り、次の目的地へ。
鏡山展望台。

鏡山展望台
駐車場から少し歩くと、展望台に到着する。

鏡山展望台
唐津市街や唐津湾が一望できるほか、真正面には虹の松原が上から眺められる場所。
無料だ。

虹の松原と唐津湾
虹の松原と唐津湾。
久しぶりにパノラマ撮影をしてみた。
眺めがよく、松原のスケールもよくわかる。
ここは唐津へ行くなら立ち寄りたい。
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旧高取邸へ [旅・場所]

旧高取邸
唐津城の次に向かったのは、すぐ近くにある旧高取邸。
国指定重要文化財に指定されている邸宅。
杵島炭鉱などの炭鉱主として成功し、2300坪といわれる広大な敷地に2棟の建物がある。

旧高取邸
建物の中はすべて撮影禁止のため、自分のカメラで撮影したのは入口辺りまで。
基本的には和の建築なのだけど、この写真にある通り海外の要人をもてなせるように洋間もある。洋間はアールヌーボー調のシャンデリアがあったり暖炉や床が絨毯であるなど本格的だ。

以下はパンフレットや公式サイトなどから。
旧高取邸
邸宅内に能舞台がある。
かなり本格的なもので、近年でも実際に能を舞う舞台として使われたこともあるとか。
座敷に仕組まれた能舞台が現存する珍しい事例。

旧高取邸
二階大広間。
向こう側に唐津湾が一望できる場所で15畳の広さがある。

ここは唐津観光に行くならついでに訪問しても損はないかと。
屋内のすべてが撮影禁止なのがちょっと残念だが。
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唐津城天守閣からの眺め [旅・場所]

唐津城内
唐津城の場内は大半が撮影禁止。
禁止されているものを写すわけにはいかないので、問題ないアングルで一枚だけ撮影。
ここは前の記事に書いた、寺沢家亡き後に藩主となった譜代大名たち5家の説明がされている。
大久保家、松平家、土井家、水野家、小笠原家についての記述がある。

水野家の書かれ方が唐津の人に嫌われているのだろうと思われるような容赦のない書かれ方だなと思って帰ってから調べてみた。
事実がひどかったようだ。
水野家が土井家の転封に伴って移封され、水野忠任が着任する。
水野忠任は農民への増税を打ち出すが、それに怒った農民たちが虹の松原一揆を起こす。農民たちは無血で増税撤回を成功させる。その後面目を潰された水野家によって厳しい農民への取り調べが続けられ、指導者たち複数名が自ら首を差し出すことで決着をする。水野家は譜代大名、寺沢家は外様大名だったことや、大きな騒乱とまでは言えなかったからだろうが、島原の乱のときの寺沢家とは異なり、幕府からお咎めなしだった。
その4代後の水野忠邦がこれまたひどい。
唐津藩主は長崎見廻役という役目を幕府から任されていて、見廻役に専念する必要性から老中には就任できない決まりがあった。出世意欲にまみれた水野忠邦は家臣の諫言を押し切って10万石以上も少ない浜松藩への転封を自ら願い出て実現させ、幕閣になるための道を切り開く。この際、唐津藩から一部幕府領に召し上げられた地域が存在し、地元民から見ると国替え工作のために賄賂としてそれが使われたのではないかという疑念があり、その幕府領の年貢の取立てが厳しかったことから、後年まで恨まれ続けている。
国替え顛末の際には、水野家家老の二本松義廉が忠邦に対して諌死をしている。
その後、水野忠邦は賄賂を積極的に活用し、幕閣へと成り上がっていく。
そして教科書にも載っている天保の改革を始めるが、上手くいかず、結局失敗し、最終的には仕事もせず木偶の坊と陰口を叩かれた。
どうやら人の心が分からず、部下にも周囲にも好かれず、独善的で上昇志向が強く、賄賂を活用しながら改革では奢侈禁止・風俗粛正をうたう。うん、どうしようもないね。教科書で水野忠邦を改革者として取り上げるなら、その顛末とセットで反面教師として教えたほうがよほど役に立つと思う。

さて、唐津城からの眺めはなかなかよかった。
唐津城からの眺め
北側。唐津湾だ。

唐津城からの眺め
東側。この写真だとわかりづらいが、真ん中から左側に湾曲するあたりにある松林が、虹の松原と呼ばれる有名な場所。

唐津城からの眺め
南側。松浦川があるせいもあるが、唐津城周囲は水が多い。攻めにくい城だと思う。

唐津城からの眺め
西側。泊まった旅館が見える。

唐津城を観光した後は駐車場に戻って次の場所へ。
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唐津城へ [旅・場所]

旅館を後にして最初に向かったのは、すぐ近くにある唐津城。
旅館からも歩いていけるが、荷物をまた取りに戻るのが面倒なので、近くまでレンタカーで移動し、最寄りの駐車場に車を停めて城へと向かった。

唐津城への階段
小高い場所にあるので、城までは階段を使って行く必要がある。
父はそれなりに健脚だが、坂はきついらしく、すこしゆっくりと歩いて上った。

唐津城への階段
城には樹齢100年を超えるといわれている立派な藤の木がある。この写真の奥やや右の方がそれ。
4月下旬~5月上旬が見頃のようで、その時期に来ると藤の花と唐津城をセットで撮れるかもしれない。

唐津城
唐津城は明治政府の廃藩置県の際に廃城となっており解体されている。
いま見られるものは1966年(昭和41年)に造られた鉄棍コンクリート製の天守閣だ。

唐津城
駐車場から望遠で撮ったもの。
築上したのは寺沢広高で1608年(慶長13年)に完成している。
広高の子の堅高は島原の乱で一揆勢に攻められたことの責任で天草領を没収され、出仕も許されない失意の日々を過ごし、最終的に自殺している。
子がいないため家が断絶し、以後は譜代大名たち5家が入れ替わって着任していく。
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水野旅館の朝食 [飲食・料理]

朝食も同じく城の間へ。

朝食
自家製ジュース
自家製ちりめん山椒
ななやま卵の温泉卵
川島豆腐のざる豆腐
季節のサラダ 自家製ドレッシング
吉田屋の季節のひもの
藤川蒲鉾のギョロッケ
明太子 からつっ子
味噌汁
永渕さんのにこまる、香の物
季節のフルーツ

出てくる固有名詞は地元の牧場名だったり屋号だったり。
ちなみにギョロッケは魚ロッケと書き、魚を使ったコロッケのことだ。昭和初期のころからあるらしい。
美味しくいただいた。

唐津湾
城の間から見える唐津湾の様子。
雲が多い。これは夜中まで粘っても星は撮れなかったようで、さっさと諦めて寝たのは正解だった。

旅館でしばらくくつろいだ後、チェックアウトしてレンタカーのハンドルを握る。
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唐津の夜空を [旅・場所]

そろそろ暗くなってきたかなというあたりで、ダメ元で外に出てみた。
オーシャンビューの部屋で、そちらが北側なので、バルコニーからだ。
星空が見える。
しかし雲がある。
小さいのでいけるかなと、頃合いを見て三脚とカメラをセット。
撮影を開始した。
しばらく部屋にこもり、適当な時間がたったところで外を見ると、雲が大きくなっていた。
ダメだこれは。

一応ダメな見本的な意味でアップしておく。
唐津の星空
約17分の撮影。
すっきりと晴れていたら、唐津湾と北極星を中心とした光跡撮影ができたのだが残念。

右側のオレンジの直線は人工衛星か何かだと思う。
いまは大量の人工衛星が軌道上に存在しており、長時間露光の撮影の邪魔な存在になりつつある。
いずれ満点の星空だけという空間は地球上のどこからも見えず、月軌道よりも外に滞在して見るかプラネタリウムやVRゴーグルで見てね、ということになるのだろう。
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水野旅館の夕食 [旅・場所]

ビールで乾杯し、次々と運ばれてくる料理を堪能した。
派手な盛り付けや奇抜なものではないが、十分に美味しい。

枝豆豆腐
枝豆豆腐。

とんさんなます
とんさんなます。
殿様刺身ともえながなますともいわれる。
当時太閤だった豊臣秀吉が名護屋出陣した際に、唐津に立ち寄り、漁民が生きた魚をえなが(漁師が海水を汲む柄杓)で汲んだ沖の潮水で洗って調理し、その刺身をえながに盛って提供したところ、秀吉が「これぞ料理の粋だ」と賞賛し、この地域の漁業を広く許すきっかけとなった料理だとか。
品書きには「あっこ」とあった。キジハタのこと。

いかの活き造り
いかの活き造り。
浴場へ向かう道すがら見える生け簀で泳いでいたやつだ。
透明で甘く新鮮さを感じる。

さざえのお造り
さざえのお造り。

丸豆腐
丸豆腐。
中にはすっぽんが入っている。このパターンは初めて食べるかも。

いさきのもろこし焼き
いさきのもろこし焼き。
もろこしの甘みがよく合う。

佐賀牛の網焼き
佐賀牛の網焼き。
柔らかい。

薬膳じょうよ蒸し
薬膳じょうよ蒸し。

ばい貝
ばい貝。

天ぷら
天ぷら。

飯・止椀・香の物
ご飯は唐津近郊の多久市で育てられた「にこまる」という品種。美味い。
味噌汁と香の物でいただく。

梅ゼリー
梅ゼリー。
さっぱりとしていて暑い夏にピッタリ。

これで締めだが、例によってお櫃にご飯が残っていたので、握り飯にしてもらうことにした。
握り飯
部屋に運んでくれた。
海苔や香の物までついていて、至れり尽くせり。
少し時間をおいて、部屋でいただいた。
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