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大塚国際美術館 クロード・モネ [美術・娯楽]

クロード・モネ。
19世紀生まれのフランス出身の画家だ。
印象派を代表する存在だ。
86歳で亡くなるまで2000点以上の油彩画を描いた。
1865年(25歳のころ)にサロン・ド・パリにモネが出品した作品が入選し、エドゥアール・マネの『オランピア』の真前に作品が並んだ。その際、マネは自分の名前を利用しようとする人物がいると誤解して憤慨したという話がある。これを機に、モネは姓だけの署名を止めて「クロード・モネ」というフルネームの署名をするようになったそうだ。(MonetとManetで1文字違い、しかも筆記の署名なので、そう勘違いしても不思議ではない)

大塚国際美術館にはモネの作品が15点あり、ここでは3点取り上げる。(前日の記事もモネだ)

印象・日の出
『印象・日の出』。
モネの代表作だ。この「印象」が印象派の名前の由来になった。
原画はフランスのマルモッタン美術館が所蔵している。
1874年の第1回目の印象派展に出展された際、評論家のルイ・ルロワがこの作品の題を見て、自身が担当する風刺新聞『ル・シャリヴァリ』紙のレビュー記事において、この展覧会を軽蔑の念と悪意をこめて「印象主義の展覧会」と評した。この命名が後に定着したことから「印象派」と呼ばれるようになったが、その名称は軽蔑と悪意から生まれたことになる。
朝もやのル・アーヴルの眺めを描いたこの作品は後世に高く評価されたが、当時の他の印象派の絵画と同様、評価が低かった。

睡蓮の池、緑のハーモニー
『睡蓮の池、緑のハーモニー』。
原画はフランスのオルセー美術館が所蔵している。
モネと言えばスイレンを描く、という印象が強い。
1897年から死ぬまでジヴェルニーの自宅に暮らして、庭師を複数人雇い、庭に池を造り、池にはスイレンを咲かせ、それをテーマに数多くの作品を残した。
日本風の橋を作って柳を植えたのは、日本、特に浮世絵の憧れがあったと言われている。
空のない風景画は、それまでの伝統的な風景画とは異なり、独特の印象を与える。

ロンドンの国会議事堂
『ロンドンの国会議事堂』。
原画はフランスのオルセー美術館が所蔵している。
モネは1899年から3度にわたってロンドンを訪れている。
そこで、サヴォイ・ホテルから見たチャリング・クロス橋とウォータールー橋を、聖トーマス病院から見た英国議事堂を描き、100点あまりの作品を残した。
この作品は建物を取り巻く霧越しの景色を透明感を感じさせる描写がいかにもモネという絵画だ。
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